1991年、オリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)に入団した田口壮さんとイチローさん。
“ドラフト1位と4位”という立場の違いはありながら、二人は「同期」として28年間の絆を育んできました。
この記事では、田口さんの発言やエピソードをもとに、二人の友情・比較・リスペクトの関係を紐解きます。
それでは早速本題に入っていきましょう!
運命の同期入団と、グラウンドで築いた信頼

1991年、オリックスに運命的に入団した二人。
田口さんがドラフト1位、イチローさんが4位。年齢は4歳離れていましたが、プロの世界では“同期”。
田口さんは当時を振り返り、「幸か不幸かわからない存在だった」と語るほど、特別な出会いでした。
外野守備に転向した田口さんとライトのイチローさんは、イニング間の大遠投キャッチボールでファンを魅了。
息の合った動きは、言葉を交わさずとも通じ合う信頼関係の証でした。
オリックス黄金期を支えた二人は、互いを高め合う名コンビとして球史に刻まれます。
プライベートで見せた“仲の良さ”と複雑な宿命

グラウンドの外でも二人の関係は親密でした。
休日には神戸・三宮で餃子やカツ丼を食べに行き、「両方食べる」ほどの食欲を笑い合う仲。
ただし、田口さんによると「野球の話はしない」。
「あの人がこんなこと言ったとか、そんな話ばかり。どんな話しかは言えない(笑)」と語り、深い信頼関係が伺えます。
一方で田口さんには、常に「イチローと比べられる」という宿命がありました。
イチローが記録を打ち立てるほど、田口さんの名前には「イチローの同期」という枕詞がついて回ったのです。
しかし彼はその状況を糧に変え、「彼と一緒にやったからこそ、20年現役でいられた」と語っています。
比較の苦しさを、成長の原動力に変えた男――それが田口壮さんでした。
メジャーでの再会と、今も続くリスペクト

イチローさんが2001年にマリナーズへ、田口さんが翌年カージナルスへ移籍。
メジャーでは多忙のため、会う機会はほとんどありませんでした。
それでも2006年、セントルイスで久々に再会し、イタリアンを食べながら冗談を言い合い「ゲラゲラ笑った」といいます。
イチローは“記録に残る選手”、田口は“チームを勝利に導く脇役”。
タイプは違えど、二人のリスペクトは揺るぎませんでした。
そして2019年、イチローが引退を発表。
田口さんは「虚無感」という言葉で心情を語り、「草野球に呼んでもらえるように肩を鍛えておきます」と笑顔で締めくくりました。
友情と敬意、そして静かな絆──それは今も続いているのです。
まとめ
田口壮さんとイチローさん。
比較され続けた“同期”が、それぞれの形で努力と誇りを貫いた28年の物語。
表と裏、主役と脇役、光と影――そのすべてを越えて、二人の間には変わらない友情がありました。
この関係こそ、日本野球史に残る“絆の象徴”といえるでしょう。
X(旧Twitter)投稿文
田口壮とイチロー、28年にわたる絆の物語⚾
同期入団からメジャー再会まで——
比較を超えた友情とリスペクトの真実とは?
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👉 「田口壮とイチローの28年絆物語──“同期”が語る本音とリスペクトの真実」
https://blogsjjt.com/taguchi-ichiro-28years/
📸Instagram投稿文
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⚾✨田口壮とイチロー——28年間続いた“同期の絆”。
神戸の餃子ランチから、メジャーでの再会まで。
比較とリスペクト、そして友情が生んだ特別な関係を紹介。
🔹1991年、運命の同期入団
🔹「イチローと比べられる」宿命
🔹引退時の“虚無感”の言葉
二人が見せた“本当の仲”を感じてください。
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