12月8日放送のNHK「鶴瓶の家族に乾杯」に、久しぶりに後藤久美子さんが出演する。
日本での活動を控え、長くスイスで家族と暮らしてきた後藤さんが、全国放送の番組に姿を見せるのは久々だ。
現在の家族構成は、パートナーとして寄り添う元F1ドライバーのジャン・アレジさんと、二人の間に誕生した3人の子どもたち。
今回は、二人の関係の始まりから、家族として築いてきた物語までを振り返りながら、“愛の形”の多様性について考えてみたい。
国民的スターとF1ドライバーの出会い

後藤さんがアレジさんと出会ったのは1995年。
当時、後藤さんは映画・ドラマ・CMの第一線で活躍し、「国民的美少女」と呼ばれていた。
一方アレジさんは、フェラーリのレーシングドライバーとして世界的に名を馳せていた。
ふたりは出会ってすぐに惹かれ合い、遠距離恋愛を経て交際をスタートさせる。
しかしふたりの歩みは華やかさとは裏腹に、国籍・言語・生活拠点の違いという大きな壁と向き合う日々だった。
生活拠点をフランス・スイスに置いたアレジさんと、日本で活動する後藤さん。
時差や距離を越えて関係を続けるには、互いの価値観や生活リズムのズレを受け止める強さが求められた。
その後、後藤さんは「家庭を大切にしたい」という考えから日本での芸能活動を徐々に抑え、欧州へ生活の中心を移すことを選択。
アレジさんと共に生きるため、自らのキャリアの形を変えたのだった。
当時の週刊誌報道は、ふたりの恋愛に対して賛否の声を投げかけた。
しかし、後藤さんは静かに覚悟を固め、周囲の雑音に揺らぐことなく信念を貫いた。
その姿勢は、後に子どもたちが成長し、自立していくほどに「母として」「一人の女性として」大きな力を持っていたことが改めて実感される。
後藤久美子は、なぜ“事実婚”という形を選んだのか

ふたりの関係で最も象徴的なのは、婚姻届を提出していないという点だ。
芸能界では珍しい選択であり、長く「なぜ籍を入れないのか」という問いがつきまとった。
ふたりが事実婚を選んだ背景には、形式よりも「心のつながり」を重視する価値観があった。
さらに、国際的な法律や手続き上の事情も関係すると言われている。
フランスやスイスでは、法律婚に比べ 事実婚(パックス/PACS) が一般的で、社会的にも広く受け入れられている。
形式に縛られず、互いの自立性を保ちながらパートナーとして生きるというスタイルは、欧州では自然な選択のひとつだ。
後藤さんが語った「結婚は届け出がすべてではない」という思いは、多様化する現代の家族観を象徴している。
一部メディアでは、過去にアレジさんの元パートナーとの関係を巡る憶測も取り上げられた。
しかし、ふたりはそうした騒ぎから距離を置き、着実に家庭を築いていった。
「何年経っても、互いに自由で、互いに尊敬し合える関係であり続けたい」
そんなふたりの思いが、30年近い時間をともに生きる強い軸となっているのだろう。
後藤久美子の家族の成長が示す“関係の結晶”

子どもたちの成長は、夫婦の関係が揺るぎないものであることを示している。
長女のエレナさんはモデルとして活動し、長男のジュリアーノさんはレーシングドライバーとして父の背中を追う。
次男のジョンさんは格闘技の道へ進み、プロボクサーを目指していると報じられている。
それぞれが自分の道を歩んでいる姿からは、家族全員が互いを尊重し合う関係性が伝わってくる。
欧州では、早くから子どもに自主性を尊重する教育が一般的だ。
自らの選択に責任を持ち、挑戦を通じて成長することが重視される。
後藤さんはインタビューで、「子どもを持つことで、自分がどれだけ足りない存在か目の当たりにする日々だった」と語っている。
子育てを通して得た学びは、母親としても一人の女性としても、大きく人生を支えたのだろう。
家族写真やSNSの投稿は控えめだが、節目で見える姿はいつも温かく穏やかだ。
そこに見えるのは、形式ではなく「信頼」でつながれた家族の姿である。
まとめ

後藤さんとアレジさんの関係は、華やかな恋愛物語ではなく、長い時間の中で互いに支え合いながら築き上げた人生の共同体だ。
籍を入れないという選択は、世間の常識ではなく、ふたりが大切にしてきた価値観の答えであり、結果として30年近いパートナーシップという形で結実している。
形式を越え、尊敬と信頼で結ばれる関係──
それは、愛の形がますます多様化していく現代において、ひとつの“生き方のモデル”なのかもしれない。
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