日本最高学府「東京大学」が揺れています。
2026年1月、医学部附属病院(東京都文京区)の医師らによる汚職や、藤井輝夫総長による接待問題への謝罪会見。
これらのニュースを見て、多くの人が思い出したのが、2019年の入学式で東京大学名誉教授 上野千鶴子氏が放った「伝説の祝辞」ではないでしょうか?
この記事では、その「恵まれた環境」を私利私欲のために使っていたのか、社会の信頼を裏切る事実とはなんなのかをみていきます。
現代社会に何を問いかけているのか、今の「東大」というブランドの光と影を解剖します。
最高学府の「奢り」と、上野氏が予言した「報われない社会」

2026年1月、医学部附属病院の医師らによる収賄事件が明らかになりました。
さらに追い打ちをかけるように、総長から教職員による22件もの倫理規程違反が公表され、社会に大きな衝撃を与えています。
これは単なる個人の不祥事ではなく、組織全体の「腐敗」を予感させるものです。
結論から言えば、上野氏が祝辞で警告した「努力が公正に報われない社会」を、あろうことか東大自身が体現してしまったと言わざるを得ません。
あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。 引用:中学受験PREX
「恵まれた環境と能力を、弱者を助けるために使ってほしい」と説いたあの言葉から数年。
最高学府の頂点に立つ人々が、その環境を私利私欲のために使い、社会の信頼を裏切っていた事実は、現代社会に何を問いかけているのか。
いちブロガーの視点から、今の「東大」というブランドの光と影を解剖します。
「弱者が弱者のまま尊重される」思想を、エリートはどう忘れたのか

あなたは、上野氏の祝辞で最も印象的だったのはどの箇所でしたか?
私は、フェミニズムを「弱者が強者になりたい思想ではなく、弱者が弱者のまま尊重されることを求める思想」と定義した部分です。
今回の汚職事件は、エリート層が「強者としての地位」を維持・拡大することに執着し、社会への貢献という視点を完全に失った末路と言えます。
贈収賄に応じた医師や教授たちは、自らの知識や立場を「弱者の救済」ではなく、「自己の利益」に変換しました。
これは上野氏が説いた「ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)」の対極にあります。
ニュースにある、10兆円規模の支援を受ける「国際卓越研究大学」の認定が足踏みしている事態。
エリートたちの「独善的な特権意識」に対し、社会がNOを突きつける結末を予感させます。
AIの世界では、モデルの偏りを排除し、誰もが平等に恩恵を受けられる形が模索されています。
AIの偏り(バイアス)は、いわば「人間社会の写し鏡」です。
「何が平等か」単なる「技術的な修正」に留まるものではありません。
多様な価値観を、どうモデルに反映し続けるかという、人間側の倫理的なアップデートが、AIにも常にセットで求められるものと理解します。
それに対して、人間側のトップ層が「接待」という古臭いバイアスにどっぷり浸かっているのは、時代錯誤と言わざるを得ないと感じました。
これからの「東大」と、私たちが選ぶべき「学び」の価値

ブランドに胡坐をかき、不祥事を繰り返す組織に、もはやかつての威光はありません。
これからの時代、私たちは「どこで学ぶか」ではなく「何を、何のために学ぶか」を問われています。
東大という看板が地に落ちようとも、上野氏が提示した「恵まれた能力を他者のために使う」という本質的な問いは、私たち自身の指標として生き続けます。
今回の事件を受け、東大はガバナンスの再構築を迫られています。
しかし、その一方でネット上のAI大学のように、場所や肩書きに縛られず、純粋にテクノロジーで社会を良くしようとする新しい動きが加速しています。
私は今、東大卒の方が立ち上げたAI大学で学んでいますが、そこで感じるのは「知の民主化」です。
私がそのAI大学を選んだのは、まさに「古い権威の不条理」を感じていたからです。
東大卒の創設者が、既存のシステムとは違う「開かれた学び」を作ろうとしている姿にこそ、本当の意味での「東大精神の継承」があると感じています。
一方で、本家本元の東大が、かつての「クローズドな特権階級」特有の汚職にまみれているのは、なんとも皮肉なコントラストに映ります。
まとめ

上野千鶴子氏の祝辞から数年を経て、東大が直面しているのは「理想の崩壊」です。
しかし、この不祥事は、私たち一般市民が「権威」を妄信する時代が終わったことを告げる鐘の音かもしれません。
本質的な価値 = 知識 X 倫理観
この数式を忘れたエリートは、やがて淘汰されます。
私たちは、彼らの不祥事を反面教師とし、自分の手に入れた「力」を、誰かのために正しく使える人間でありたいものです。

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